10月30日 メキシコ4日目

メキシコ人は時間にルーズ

 今に始まったことではないが、やっぱりメキシコ人は時間にルーズだった。

昨夜、ダニア・ユリコ・ガルシアからメールがあり、どうしても僕に会いたいというので、ホセフィーナの家で会う約束をした。彼女の家がここに近いということと、午前中は仕事があるというので少し早いが朝8時に会うことにした。

 

 しかし、8時を過ぎてもユリコは来ず、待っている間に朝食を頂いた。朝食はウェボ・アオガド(Webo Ahogado)。卵がスープの中でおぼれているという料理。グアダラハラには、トルタ・アオガダ(Torta Ahogada)という有名な料理がある。トルタは女性名詞なのでアオガダとなる。因みにトルタは日本で言うところのバケット

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朝食 webo ahogado とフルーツ

 ユリコは9時を回ってやってきた。仕事があるから8時と言っていたのではないかと思ったが、ユリコは遅れて済まないとの一言もなし。彼女は24歳。年長者を敬うという習慣もなさそうだ。ホセフィーナもごくごく当たり前に対応していた。 

 

 

 僕が泊まっている3階の部屋に案内してサナシオン(sanación)。

 その後、ホセフィーナとも意気投合し、話込んでいた。(仕事は?)と思ったが、アバウトなんだなと思い返した。このくらいアバウトなら楽に生きられるだろう。

 メキシコ人の自殺者は日本人のそれと比べて遙かに少ないというのがわかる気がする。

 

 10時半にホセフィーナの友人、ルル、正式名はLourdes(ロールデス)というのだが、この発音が日本人にとっては難しい。Rは比較的楽なのだが、Lがやっかいで、必ず言い直される。

  ルルは顔面神経痛を患っていた。以前よりだいぶ良くなったそうである。

ルルに病気になる原因や、明るく暮らす方法論のお話をして、sanación。

 その後、二人は仲良しだから、二人の会話を睡魔をこらえて聞いているのが辛かった。ネイティブの会話は理解不能。僕に話してくれる言葉はある程度わかるが、大勢の中に入ると、全く疎外感を感じてしまう。

 

 ルルの家を後にして、バジェ・デ・アラゴンメルカド(市場)でホセフィーナと昼食。フラウタ・コン・コンソメコンソメはスープのことをだいたいコンソメというのだろう。結構色が赤く辛かった。フラウタは楽器のフルート。肉をトルティージャで細めに巻いて油で揚げたもの、そこにサルサソースをかけてある。肉と揚げ物はちょっと胃にこたえる感じがする。

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 タクシーを拾い家に戻る。次は17時頃出発と聞かされ、喜んで休ませて貰うことに。2時間ほど休み、マツダ3(日本名、マツダ・アクセラ)で出発しようと乗り込んだものの、またエンジンがかからない。6千ペソかけて直したのに。チェビーはファビアンが乗っていっているので、ファビアンを電話で呼びだし、運転して貰うことに。程なくしてファビアンが到着。

 

 先ほどよく寝たが、車の中でも寝た。時差ボケはまだ抜けてないのだろう。着いたところはセクトル・ポプラル。前回行ったクリスタル・ガラス屋のベロニカの所。

 

 前回は従業員がいて、沢山の人にsanaciónをしたが、今回はたった4人。

教話、おつとめ、sanación。

 ベロニカはsanaciónn取り次ぎの時何故か泣いていた。色々と辛いことがあるのだろうと思った。

 

 そして、次に訪れたところは、トラルパン。更に南に向かう。

ミリアンというヨガの先生の家なのだが、ドアを開けると、およそ30人ほどの人が椅子に座って、椅子のない人は床に座って待っていた。

 時間は21時半。今からこの人達全てにsanaciónをするとなると何時になるのだろうと、少しおじけづいた。

 

 結局最終の人が終わったら、夜中の2時だった。

さあ帰ろうと思ったら、食事をしていけとのこと。食事を頂き、家に着いたのは4時。

さすがに疲れた。

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左から、アレックス、ミリアン、筆者

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深夜2時半の夕食